はんぶんこっこ
「下が濡れてるから」
差し出された手は、傘からおちた雫で一滴ぬれた。
大丈夫だよ、ほら、安全靴。
片足をあげてみせたら少しすべって
思わずその濡れた手をにぎった。
あいかわらず雰囲気でいきてるね、安藤はわらった。
祐子と安藤のあいだに子供はいない。
結婚して8年。
なにか事情があるのだろう。
聞かない。
「触っていい?」
軍鶏がおいしい飲み屋で、安藤は関節がごつりとしてる掌をのばした。
箸を唇にくわえておなかをつきだした。
まず掌をつけて、温度がなじませて
ゆっくりと指をまとませた。
照明がくらくて、顔の半分に影ができている。
そこから顔をだして安藤は言った。
「これで半分、僕の子だ」
おもわず、安藤の固められた髪の毛に手をのばして撫でた。
がんばるね。
吐息のような、泣き声のような、嗚咽のような。
ちいさな声にほほえんだ。
切迫流産
1月の半ば、妊娠がわかって二週間ほど経った頃
トイレで少量の出血を確認した。
ある程度の知識はあった。
―――妊娠初期、出血は即病院。
深夜だったが電話をかけて、みてもらった。
本当に産婦人科の医師は大変だ。頭上がらないよと思いながら診察台へ。
内診した先生が一言。
「わからん」
ギャボー。妊娠って万能細胞ができて宇宙にいけてる2008年でも
完全なブラックボックスなんですね。
当たり前だ。妊婦分解して研究できないし、命は手を出しにくい分野だろう。
細胞や宇宙は動物で実験できるけどね。
とりあえず心拍に問題はないから、絶対安静だと言われる。
「ちなみに、絶対安静って、座ってるのもダメだから」
ギャボー。完全に横になった状態しかダメだと言われて真っ青。
当時は妊娠してるなんて相方以外、誰にも言ってなかったし
こんな危険な状態で「実は妊娠してて」など会社に言えない。
てか仕事どーしよ…。グルグル考えても答えはすぐにでる明快脳。
「ごめん、ゴーダ。僕、インフルエンザになった」
今度はゴーダがぎゃぼー。実は年明けにゴーダもインフルにやられてて
コイルさんに移ったらイカンので…と休んでいた。
すいません移しましたと謝るゴーダに心の中で謝る。
ネットはできるレベルだから、仕事はするよ、と嘘ぶいて
ソファの上に城をつくり、テーブルにノートパソコン乗せてガタガタ仕事。
立ち上がるのも止めた方が良い…と言われてご飯とかどーしよう
出前で良いかと思っていたら、相方が「自宅作業に切り替える」と宣言。
えー?! 何があっても私のために会社休むなんてありえないと思ってた(失礼)。
本当に驚いた。
相方は家事から料理から片付けまでパーフェクトにこなして私を寝かしつけた。
相方…意外と子供ほちいの?と思ったがそうではなく
子供を意外と喜んでる私が、これで流産したらメチャ悲しむから
俺は最大限の努力をする、という何があっても【コイル至上主義】だった(笑)。
まあ、まだ姿形もない子供に愛情感じろってもの無理な話か、と
愛され嫁は、なんと一週間ソファで生活しました。
その成果あって、一週間後の検診で子供は大きくなってて一安心。
その後から今に至るまで問題なく大きくなっています。
妊娠に安定期はなく、産むまで、産んでからも安心できないけどね。
私は切迫流産で寝込んだとき、とにかくネットで検索した。
大丈夫だった人の文章を沢山探した。
だから私も、もしこれを乗りこえたら書こうと思っていた。
一概には言えない。でも大丈夫な人もここに居ましたよ、と。
一つでも「ああすれば良かった」と思うことをせず、頑張って安静にしてくださいね。
体は元気だし、熱もないので、安静にしてるのは実は大変だけど。
ちなみに相方が作ったカレーは、私がリビングから指示だして作ったのに
圧力鍋の圧力かけわすれて(笑)もっそい普通のカレーになって笑った。
あのまずいカレーも思い出です。
そして先日からついに胎動が。
なんかへそのしたでモゾモゾ動いてる。
わかったよ…もう会議室で椅子を蹴飛ばすのは止めるよ…。
ん?…チップスターが食べたい?…ダメだよ、あれは塩分多いからモグモグ…
そうやって生きていく
妊娠がわかって、真っ先に考えたのは仕事のことだ。
何しろ三年先の仕事まで決まっていた。
私のしている仕事は、基本的に代わりはいない。
代わりは居るけれど私と同じ仕上がりにはならない。良くも悪くも。
私の言葉は、私だけのものだ。それを願われて、依頼されている。
だから一瞬、妊娠検査棒前に頭を抱えたが
数秒後にすんなりと思った。
断る以外、どうしようもない、と。
私は出産したら、第一線から10年は退こうと思っている。
第一線というのは、平たく言えば会議室。
人を騙して六歩先読み、先手を打ち、胃を痛めながら笑顔で返す会だ。
スタジオの席もあけようとおもってる。10年以上居た場所だけど。
私は18才から30才まで、声を大にして言える。
「働いた」と。
18才から25才までの記憶は、もはや定かではない。
週に一度も帰っていなかっただろう。
寝袋に足をつっこんで仕事して、眠くなったらそのまま眠る日々。
25才から責任が増えて、会議室で戦った。
大きくなる責任と、眠れない時間。
頭のなかは24時間フル稼働で仕事の事を考えた。
もういいよ、充分だ。
残念ながらそうは言い切れないけど(仕事大好きなんで)
20代を仕事にささげたので
30代は子育てにささげようと思う。
そして40代は再び仕事にささげようと。
10年育児をしたら、書くものも変わるだろう。それも楽しみだ。
ちなみに私は相方に育児をまるで期待していない。
ちなみに私が出産する8月末、相方は超絶忙しく
たぶん家に居ない。思いっきり一人の予定だ。
でも出産に立ち合われても私の痛みは減らないので
相方は居なくていい。…とハッキリ伝えたら少し悲しそうだった(笑)。
私は仕事をしてる相方に惚れたので
仕事をできない状況を私が作るのは間違ってると思ってる。
これには異論もあるだろう。子育ては二人でするものだ、とか。
まあ相方が全く居ないわけではないが、基本期待しない。
少し助けてくれたらラッキー程度しか考えていない。
私が楽しく育てるから、相方は仕事を頑張ってほしい。
暇になったら一緒に子供で遊ぼうぜレベル。
今までと何も変わらないのだ。
私も相方も、お互いのことをお互い必死にやってきた。
そして少し疲れたら、一緒に休む。
それが私たちのスタイル。
現時点で私が下りた仕事の次の人間は決まっていない。
難航してる、バカヤロー!と上の方からお叱りを今でももらう。
ほんとすいません。
「妊娠しました」と社長に言ったら
「…ありえないよ…マジで…勘弁してよ…」と泣かれた。
おめでたい事ですよぉと言ったら30分説教された(笑)。
そんな怒らなくても…と思ったけど、必要とされていて本当に嬉しかった。
ありがとうございます。本当に。
10年間やってきて良かった。
…て、まだ終わってないんですけどね。
もう少し頑張ります。
不眠も治らないし。妊婦って眠くなるんじゃないのー?