普通がいちばん恐ろしい
ゾディアックをみました。
私の見解ですが、この監督は
一見すると特筆すべきでない感情を違和感なくみせるが
その感情を特筆すべきじゃないと観客が思うことが一番面白い…という
素敵なフォーマットを得意とする監督だと思います。
平たくいえば、とある殺人事件があったとし
「妻は…」と言われたらあまり引っかからないけど
「内縁の妻は…」と言われると何か因果があると思う。
普通の夫婦でも因果はあるし
夫婦と同じ付きでも内縁関係であることもあるだろうに。
言葉のイメージだけで振り回せされる観客を
あざ笑う的な物を作る人だと思う。
セブンは主人公が一番嫌っていた行為を最後に自ら犯す話だ。
ゾディアックも面白い仕掛けが…と思って見に行きましたが
そもそもドキュメンタリーというジャンルが難しい。
日本人はオウム事件に詳しい。毎日報道されて、今も報道されてる。
だからオウムをネタにした映画…たとえば麻原はプラモで実は姉が動かしてるとかなら
最悪人は笑うわけだ。【麻原がプラモじゃないと知っているから】。
事実を詳しく知らない人間に、ドキュメンタリーは難しい。
私はゾディアック事件を詳しくは知らない。
だから監督がこの映画の中でどこを面白くしたのか
またしていないのか、実際どういう事件なのか
まるで知らないのだ。
森達也監督のオウム映画、Aを知っているだろうか。
この映画は人々が知っている【宗教集団・オウム】の内側から撮ることで
オウムの中に居る人たちも普通の人間だと分かる。
「尊師の教えでは、性欲がなくなるはずなのですが…
記者の方々がすてきな恰好をされていて…困ります」
そう呟く信者は普通の人だ。内側に入ることで逆を知らせる。
私はドキュメンタリーはその見せ方が一番すきだ。
すべてを説明しなくても、状況を説明できる。
その意味でゾディアックは普通のドキュメンタリーにしか見えない。
順を追って説明しているに過ぎないのだ。
そして、どこか広げるとしても、それは事実を知らない私には伝わらない。
唯一面白さを感じたのは、何も関係がなかった男が一人取り残されて
一人事件に固執してゆく姿。人は逃げられないと働くのだ。
それをどれだけ忌み嫌っていても。
…しかしこれが大きなギミックだとも思えない。
なぜデヴィッド・フィンチャーはドキュメンタリーという世界を選んだのか。
私の理解度が薄く、理解に苦しむ形になったのは非常に残念だ。
私の見解ですが、この監督は
一見すると特筆すべきでない感情を違和感なくみせるが
その感情を特筆すべきじゃないと観客が思うことが一番面白い…という
素敵なフォーマットを得意とする監督だと思います。
平たくいえば、とある殺人事件があったとし
「妻は…」と言われたらあまり引っかからないけど
「内縁の妻は…」と言われると何か因果があると思う。
普通の夫婦でも因果はあるし
夫婦と同じ付きでも内縁関係であることもあるだろうに。
言葉のイメージだけで振り回せされる観客を
あざ笑う的な物を作る人だと思う。
セブンは主人公が一番嫌っていた行為を最後に自ら犯す話だ。
ゾディアックも面白い仕掛けが…と思って見に行きましたが
そもそもドキュメンタリーというジャンルが難しい。
日本人はオウム事件に詳しい。毎日報道されて、今も報道されてる。
だからオウムをネタにした映画…たとえば麻原はプラモで実は姉が動かしてるとかなら
最悪人は笑うわけだ。【麻原がプラモじゃないと知っているから】。
事実を詳しく知らない人間に、ドキュメンタリーは難しい。
私はゾディアック事件を詳しくは知らない。
だから監督がこの映画の中でどこを面白くしたのか
またしていないのか、実際どういう事件なのか
まるで知らないのだ。
森達也監督のオウム映画、Aを知っているだろうか。
この映画は人々が知っている【宗教集団・オウム】の内側から撮ることで
オウムの中に居る人たちも普通の人間だと分かる。
「尊師の教えでは、性欲がなくなるはずなのですが…
記者の方々がすてきな恰好をされていて…困ります」
そう呟く信者は普通の人だ。内側に入ることで逆を知らせる。
私はドキュメンタリーはその見せ方が一番すきだ。
すべてを説明しなくても、状況を説明できる。
その意味でゾディアックは普通のドキュメンタリーにしか見えない。
順を追って説明しているに過ぎないのだ。
そして、どこか広げるとしても、それは事実を知らない私には伝わらない。
唯一面白さを感じたのは、何も関係がなかった男が一人取り残されて
一人事件に固執してゆく姿。人は逃げられないと働くのだ。
それをどれだけ忌み嫌っていても。
…しかしこれが大きなギミックだとも思えない。
なぜデヴィッド・フィンチャーはドキュメンタリーという世界を選んだのか。
私の理解度が薄く、理解に苦しむ形になったのは非常に残念だ。



